History

元々はいりこを獲って作る漁師だった初代

初代・田中 忠幸は、元々イワシやアジを海水でボイルし、天日干し、選別を行って出荷する漁師でした。しかし、昭和37年(1962年)2月、ものすごく強い「しけ」が襲来。港の船がほとんど転覆してしまいました。忠幸の船は無事ではありましたが、資材は全部流されてしまい、それらを買い戻すには当時で数百万、今の価値に直すと数千万のお金がかかってしまうという状況。そこで忠幸は、魚を「獲る」のではなく、「売る」ということに転向しました。
昭和37年(1962年)3月、個人で鮮魚、青果移動販売をトラック1台で開始。それが「魚屋」としての始まりです。翌年、「SOL JAPAN」の前身である「田中屋鮮魚店」を御津に開業しました。

一番左が若かりし頃の初代・田中 忠幸。

西茶町に「田中屋鮮魚店本店」をオープン

二代目である現会長・義啓が高校卒業と同時に初代と一緒に商売をはじめました。朝早くから夜遅くまで魚や野菜を行商する日々でしたが、その甲斐あって昭和51年(1976年)2月、西茶町に現在の本店でもある「田中屋鮮魚店本店」をオープンしました。
その後、モータリゼーションの波が到来。商店街が廃れていく中、卸やスーパーマーケット、飲食店事業など経営を多角化していき、一時期全体で80人も雇用するほどの組織となりました。

若かりし頃の二代目、現会長・田中 義啓。

そして「SOL JAPAN」へ。

そして三代目である現社長・田中 真一が2002年5月に入社。飲食店も展開し、「海鮮料理屋 さくら川」「旬魚食彩処 ふくわらい」を経て、現在では地元食材にこだわった「まつえ市場御飯処 多久食堂」も地域の皆さまに愛されています。平成30年(2018年)8月、「島根のお魚を世界に発信する」というミッションのもと「魚を売る」という原点に立ち返り、組織および社名変更を行いました。「有限会社 田中屋鮮魚店」から「株式会社SOL JAPAN」となった現在、日本だけでなく、海外にも目を向けた魚屋としてより精力的に活動しています。

後列・中心が三代目、現社長・田中 真一。